神奈川芸術文化財団について

神奈川芸術文化財団は「神奈川県民ホール」「KAAT神奈川芸術劇場」「神奈川県立音楽堂」の運営を担いながら、
神奈川から新たな文化を創造・発信し、多くの県民の皆様に、身近で質の高い芸術の鑑賞機会を提供するとともに、その交流を図ることを目指しております。

一柳慧芸術総監督の逝去にあたって

一柳慧 ICHIYANAGI Toshi(作曲家・ピアニスト)

昭和8(1933)年、神戸生まれ。昭和27(1952)年に19歳で渡米、ジョン・ケージとの知己を得、偶然性や図形楽譜による音楽活動を展開。昭和36(1961)年に帰国、自作品並びに欧米の新しい作品の演奏と紹介で様々な分野に強い刺激を与えるとともに、国内外で精力的に作品発表と演奏活動を行う。尾高賞を5回、サントリー音楽賞、ジョン・ケージ賞、恩賜賞及び日本芸術院賞ほか受賞多数。平成20(2008)年より文化功労者。平成30(2018)年文化勲章受章。平成12(2000)年より神奈川芸術文化財団芸術総監督。
令和4(2022)年10月7日逝去。

令和4(2022)年10月7日、当財団の一柳慧芸術総監督が、逝去されました。
当財団では、平成8(1996)年から令和3(2021)年6月まで理事を務められ、平成12(2000)年からは芸術総監督として、長きに渡りご尽力を賜わりました。
これまで、「時代や社会を問う新しい作品を、神奈川から発信し続けること」「従来の芸術ジャンルの枠組みを越えるような作品の創造に挑戦すること」をテーマに据え、県民ホール・音楽堂の企画立案・事業制作について、総合的な指導・監修をしていただきました。
ここに、長年の功績にあらためて感謝申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。

公益財団法人神奈川芸術文化財団理事長 玉村和己

一柳さんの、およそ20年間にわたる芸術総監督としての仕事は、彼がつねに標榜していた「あたらしさ」の希求のもとに成り立っていたのだと思います。私自身は4年足らずのお手伝いしかできませんでしたが、この仕事を通じて、一柳さんの「あたらしさ」への執念、そしてそのベースになっている、彼の「若さ」にいつも驚かされてきました。
実際、一柳さんは、80歳を過ぎても、まるで青年のような人でした。およそ息子のような年齢の私にもつねに敬語で接し、忌憚のない意見を求めるのが常でした。ひとは一般に、地位を得ると他人の言うことを聞かなくなるものです。しかし一柳さんは、いつも自分よりも若い人の意見を聞きたがり、それを尊重してくれました。
コロナ禍の中で外出もままならない中、一柳さんの身体は徐々に衰弱していきましたが、最後までその精神は若々しかったように思います。むしろわれわれの方が、いつも彼に励まされていた。自分もあんなふうに年を取りたい、心からそう思います。
一柳さん、安らかに眠ってください。本当にありがとうございました。

神奈川県民ホール・神奈川県立音楽堂芸術参与 沼野雄司

もっと! もっと新しいことを!
神奈川県民ホール・神奈川県立音楽堂の芸術参与を務められている沼野雄司氏にご伝言される言葉は徹底的に「新しさ」を追求するものでした。それは芸術の最も純粋なありようです。未知なるものを追い求めること。残念ながら一柳先生と直接ゆっくりとお話しする機会には恵まれませんでしたが、そのお言葉はいつも力強く響きました。しっかりと心に抱いていきたいと思っています。
先生のご冥福を心よりお祈り致します。

KAAT神奈川芸術劇場芸術監督 長塚圭史